2011/11/13

第9回 「東京島」あぁあ、女優におもうもの!

女優女優女優!!!


例えば。これからここに女優さんが来ますというと、誰もが単純に「どんな美しいひとが来るのだろう」と期待してしまう事だろう。しかしもちろん、色々な役 があって色々な俳優がいるので、その限りではないし、なんというか言いがたいのだけど、そんな事では話がすまないじゃないかとやけに噛み付きたくなるんだ けれど私は。桐野夏生の小説「東京島」の映画を見た。小説も見た。

32 人が流れ着いた太平洋の涯の島に、女は清子ひとりだけ。いつまで待っても、無人島に助けの船は来ず、いつしか皆は島をトウキョウ島と呼ぶようになる。果たして、ここは地獄か、楽園か? いつか脱出できるのか——。(小説版解説より)

何故!何故!木村多江なのか!?
どうしてこうなった!?なんて言うか、この人が美しいかは意見が分かれるのかもしれないけど(私は美人だと思う)、問題はそうじゃなくて、現代的且つ小綺麗であり過ぎじゃないでしょうか!?
というか、もっと正直に言うと、こういう人が身の回りに居たら同性は絶対に「この女はヤバい」と本能的に警戒するタイプなのであって、ナチュラルボーンに ハエ取り草的メンズハンターなのであって、支配者としての快感に目覚め男をソソる快感にいまこのとき蘇った普通の地味で平凡な主婦(42才)なるものの生生し くぬめる欲望の光、を表現するのに本人が楚々としてありすぎでは、と思ってしまうわけであります。
こういう配役によって、女性が自分の欲望の実感とともにあれこれ思うものではなく無人島でドキッというありがちな男性側妄想ファンタジーになったみたいな気がして、すごく不満なんですけど、どうですか。違いますか。興行的なものへの配慮でしょうか!不満です!ふ・ま・ん!
無人島で女居ない=ハイパーデフレ急浮上感が、この、言っちゃいますけど、「女としておしまいなのかしら」というどうしようもない苦しさと焦燥感に振って沸いた確変大チャンスだの「こ、こんなおばさん(失礼)に・・・」みたいな切迫とか緊張感汗脂もしかすると屈辱のようなものが最高にエモーショナル・・・であるべ きなのであって、刺激的ドーパミンドロドロしたいんであってこの配役を選んだ人はそこんとこもっとアレしてほしかった。
もっとねえ。
この、そういう判り易いありていの美しさとかじゃなくて、でも魅力的じゃないのじゃなくて
何も起こる前の主人公主婦のような役をいつもやっている女優、いっぱいいるでしょう!!どうしてそこにスポット当てないのよ!!!「そういう人たちもやっぱり魅力的である」って見せて欲しいところ、じゃないの???
若松二朗監督に「あなたほどもんぺの似合う女優は居ない」と映画にさそわれた寺島しのぶとか。
しのぶと言えば、演技の上手な大竹しのぶでもいいよ。田中裕子はどうして人のいいおばさんみたいな役ばかりなのか(蒼穹の昴は最高でした)!?そのあたりジブリアニメは原作小説ファンになんと言われようと貴重である。
昔サントリーオールドのCMで研修医だかなにかになまじ告白される弁当屋の女、あの時の夕日、そしてエモーショナルは忘れがたいものです。
年齢とかよくわかんないけども泉ピン子ならば滑稽さの域までキッチリやってくれるであろうし、昔五社英雄の映画で「男が欲しいんだよ!客とってくれ よォ!」と赤の肌襦袢をずり上げて絶叫した西川峰子(現・仁支川)などほとんど限りなく正解に近い、優等生的解答ではと思う。トラウマですよありゃあ。
藤田朋子も恥じらいみたいなものが想像できてよい。
色々言いはしたけど、余貴美子が完璧でありすぎて、これはどうしても避けられない答えであって、
木村多江でも余貴美子でもどことなく薄倖感を漂わせるけど、前者は完全に罠なんであって、後者のほうがここでは絶対に怨念というか情念というか血圧の高まりが絶対に違うんであって、どっちが優れているとか頑張りの問題でもないとおもいますけど、どっちにしろもっと激しい作品を個人的には見ていたいと思いますがね。

それにしても、近頃はなまじお綺麗なだけでつまんない女優が多すぎて大変不満である(木村多江がそうだとは言ってない)。
そのような有象無象の女優たちにはぜひ田んぼの水で顔洗ったり珍獣ハンターをやったり金魚を齧ったりして(かつて小川真由美がやった)反省してもらいたい!



(2011.11.11 配信)