2011/06/10

第4回 「17才」と昔の男

小雪と松山ケンイチの結婚であるとか、木村佳乃に第一子誕生したであるとか、おめでたいニュースもちらほら聞こえる。
虚実の皮膜の蕩けたゆるい頭では、映画「ALWAYS 3丁目の夕日」を見ている時に
泣きながら身を寄せあう茶川とヒロミを見て「あれっ違う人と結婚したじゃないか」とか思い出して、気が散ってしまう。

何も「映画は虚構である」とかいう意味のないことだとか、作者らと作品を同一視するのは結局下世話なのでさし控えるが
少し逸脱をお許し願って、空想の行き着く先を探してみる。
そうすると、あの映画で誓われた愛や、この物語で語られた永遠というものが
我々の誰もが通り過ぎてゆくようないくつかの恋の一つにすぎぬといった、一抹の寂しさが私には見つかる。


逆に「誰もが通り過ぎてゆく恋」のうちで(?)、それ故に感慨深いものとして、2009年のイギリス映画「17才の肖像」をあげる。


舞台は1960年代のイギリス。ジェニーはパリに憧れる16才。オックスフォードを目指して勉強中だ。
しかし、ある日突然で出会った年上の男性と恋に堕ちてしまい、勉学がおろそかになってしまう。
教師にも見つかって弾劾されるが、少女には「大人の男」の全てが新鮮で刺激的すぎる。
彼がどんな人間であるのかは次々と明らかになるが・・・・
・・・・と、説明してみれば、まあ有り体なロリータ映画のようだ。
邦題もわざとらしいと言えばわざとらしいので、そういう覗き見根性で観たい方はどうぞと思うが(近づきたくはない)、
少女の価値判断の痛ましさというか、結局のところのつまらなさに、沸々と老婆心が沸く。
(相手の男は馬鹿なので、私なら微分積分の方がなんぼかマシと思うが)

原題は"An Education"と言う。辞書で引くと「教育」とある。
といっても、いわゆる所定の学校教育だけの話ではありませんね。実に是非の問いがたい教育だけど、
映画の終盤、ジェニーと女教師との語らいは、傷ついた「愚かなまま年老いた」ジェニーのこれからを臨むしなやかで聡明なものだ。
女教師も、かつてジェニーのような少女だったのかも。

"An Education"が、もう一方の教育に息を吹き込むようなすがすがしさ、それでもせめてものといった希望を残して、映画は終る。


(2011..11 配信)