2012/08/11

第十八回「かぐや姫と自我パワーゲーム」


竹林業のおじいさんが、いつものように竹をざっくりと切ると、中から小さな女の子が出てくる。 
自分ら夫婦の子供として大切に育てる。
美しく成長したので、どしどしと求婚者あるしおじいさんおばあさんも「そのようなものだからそのようになさい」というし
しかし本人は「よくわかんない人と結婚して浮気されるのやだ」とか言って、何人かいたのを色々無茶言って拒絶。 
で、 天皇とも文通してたけど、天皇は悲しんで思い出の長寿薬を富士山頂で焼く。「竹取物語」はこんな感じだった。 

竹は増殖する。
みちみちみちみち増殖しくさって他の植物を根元から圧迫し上から日光を遮り駆逐する。竹林というのは全部つながっていて、あれは全部同じ竹である。
分裂・崩壊とを隣り合わせにした自己というゲシュタルト、無意識化で肥大して行く自我を象徴しているのだと思う。
いいとか悪いとかでなくそういう人が誰かと一緒に共同生活(通婚にしろ)をする事は難しいのかもしれないし、
強烈な自我と主体性を持っていると 「人に媚びて得するとかおかしいんじゃねえの!?人として!」
みたいなところにたどりつき、「てめーらもそれでいいのかよ」とむしろ美×金というパワーゲームという罠でミーハーブランド好き女スイーツ(笑)を演じてみるも彼氏らギラギラとその話に乗ってくるので姫わ。。。ょけぃ悲しくなった。。。・゜・(ノД`;)・゜・
みたいな?
惚れるより慣れるんかも知れないけど、そういう事最初から言わない。
現代がどうなのかはよくしらんが、よくわからない人と必要あって結婚などするシーンは少ないと思う

しかしかぐや姫は特に代わりなどとして自営業継いで「うちもお爺ンと竹やるねん」とか、二代目女社長細腕繁忙期とかにはならずに、異世界に帰郷してしまうのは孟宗竹妄想じみてるし、日本国民が月に移住してじゃんじゃん少子化してるんかもしれないがそんな事を言っても誰も得しない話になるのでそれはやめる。
この物語には、少女のほかにはおばあさんしか居ない。その中間の成熟した女性像とかのロールモデルは現れない。
生まれたと思ったらすぐ死ぬのが人生であり光陰矢の如し、とか思ったら月の人は成長が早い割に寿命が長いというほぼ一生涯美少女保証でぎえー!
一体何しにきたの・・・私らに何を伝えにきたの・・・

強烈な自我が強烈な善悪のアンテナになり、「よく知らない人とでも結婚するものなのだ」とか、「~するものなのだ」「そういうものなのよ」
みたいな事に、自分を反発させ続ける。そういう「竹生まれ」みたいな人はたまにいる。
そのような人を「付き合いにくい人」「やりづらい人」のようなある種の危うさも感じ取りつつ、それを無情の価値あるものとして描いたのが
「竹取物語」なのではないか。
そういうわけで、選択肢の一つとしての同性婚くらい認めたらどーなの、という、そういう話にも飛びそうですが、この辺りで。


(2012.8.11 配信)