2012/01/20

第11回「我々の先生たち、ひとまず池上彰」


お正月は他に見たいものがないので、テレビ東京で池上彰の番組を見ていた。
昨年の夏に録画した信州大学での特別講義とのことで、いわゆるひな壇芸人的なものはおらず、彼らのオーバーリアクションを見ずにすんだので、かなり快適な正月を過ごした。

「へえ~!」「なるほどぉ~!」という大げさな感嘆を見るにつけ、その度に私は、「せっかくデジタルデータ放送?なんだからあれらを消せるボタンはないのか」とキリキリ歯ぎしりをしていたのだ。歯がすり減らずにすんだのはありがたい事である。
もちろん明るく楽しいバラエティー番組としては、愉快なクラスメイトの皆さんがいたほうがいいに決まっているのだが、それにしても傷つく。
自分だけ優秀ないい子になり、先生に褒められたい!という幼少期の誰それや、あるいは自分のことを見せつけられたみたいで傷つく。そのような承認欲求に対し強烈な批判精神をもつのが言うまでもなく不良の一派であり、少なくとも義務教育終了まで長い事たもとを分つ。そして反発の対象だったり尻尾を振る対象だったり、全く心に残らない可能性もあるけど、それぞれ何かしら道しるべ程度には、先生なるものの姿が心に残るのではないかと思う。
で、学生時代全く勉強というのをしなかったあなたも、今では学生の頃のように勉強をしなくなってしまったあなたにも、あるいはなんにせよ学習と思索の心をなおも忘れずただ自分の師匠から離れて過ごしているあなたにも、「ああ、先生どうしているかな。」と思わせて、郷愁とともに、背筋が伸びたり縮んだり寒くなったりするんじゃないか。その、池上先生を見て。
森昌子「せんせい」が大音量で鳴り響く事はなはだしい。
池上氏は、そのような意味でも人々の良心の指標として機能しうるのかな、と思った。




(2012.1.11 配信)