2011/12/11

第10回 愛と魂のチキンラーメン賛歌

  チキンラーメンって超すごいと思う。表現のありようとしてチキンラーメンは優れていると思う。
願わくば、私はチキンラーメンのようでありたいと思うほどだ。これは袋に入っている奴の話で、カップに入ってるあいつは、世を忍ぶ仮の姿よね。
これからチキンラーメンがどんな風にすばらしくて、かっこいいラーメンかみなさんに説明しますね。


まず、これが一番重要なんだけど、チキンラーメンは、基本的にはまあラーメンであって麺が汁に浸っているからラーメンであると言うスタイルを継承してるんだけど、既存のラーメンと言うものを全く問題にしていない。
これが重要ですね。
たとえば豚骨の即席麺とか、醤油味カップラーメンというのは、ラーメン屋とか中華料理屋さんとかで食べれるいわゆる「ラーメン」の模倣というか、レプリカじゃないですか。独創性が全く無いじゃないですか!その点チキンラーメンは、なんていうかぜんぜん目指すものが違うよね。リアリティを問題にしてないというか。「チキンラーメン」のまえにチキンラーメンなくチキンラーメンの跡にチキンラーメン無い。べつにチキンラーメンて、即席めんであることに超プライドを持ってるし、自分に自身があるから絶対高望みしない。お前らは確かに珍しい。でもおれはこうなんだ、という。でも即席めん。その誇り高きチープさが、チキンラーメンというものを作り上げてる。
普通のラーメンとは別コースをひたすら猛スピードで逆走し続けてもうぜんぶバックミラーから消えてんです!これは、いったいどれほどの勇気が必要なことだろうか。王道でありながらの激しい反逆と反骨の精神。チキンラーメンはいわばラーメン界の裏番なのだ。
あと、卵を入れてもいいし、いれなくてもいいという懐の深さ、シンプルでありながらあふれる多様性、鑑賞者参加型インスタレーションじゃん。お好きなように小粋にアレンジメント。
卵入れればタンパク質とか取れるし、ていうか、むしろ卵入れれば他のもの入れるって言う余計な事考えなくていいじゃん。他の袋ラーメンは卵しかいれなかったら明らかに手抜きだけど、チキンラーメンは卵入れるだけで完璧じゃん。ていうか、おやつとして粉々に砕いて食べてもいいじゃん(多分)。なんて美しいの?
卵を入れなくてもチキンラーメンはチキンラーメンとして成立するし、卵を入れる事でさらにチキンというものの幅を奥深く感じる事が出来る。チキン麺の上で暖められる割られた卵は、羽化する事のない徒花のようだ。おいしく戴きます。
そして、卵を入れるくぼみね。そういうの優しさじゃん。
デザインで大事なのってデザイナーの自己主張じゃないじゃん多分。使う人へのおもいやりじゃん。チキンラーメンだからって乾燥麺が鳥の形してたら困るっしょ。だからチキンラーメンは普通に四角いし。しかも卵入れるポケットついてる。話の分かる奴だ。
あと専用の丼あるじゃん。こういうものをどんどん統一していけばエコで、ユニバーサルデザインだよね!どんどんチキンラーメン的な即席麺にしていけばいいよね。ひとり一つもてばカップラーメンのカップ部分いらないじゃん=一人一丼制度ってかんじで。
お皿を洗うのが面倒な人は、常に休みなくチキンラーメンを食べ続けてください!
あ!とついでに言えば,粉の入ってる袋もなく、袋に麺が入ってるだけだし。シンプル且つ、スペースに無駄がない。 なんてこった。
まるで、初めてギリシア哲学に触れた子供のような衝撃を、チキンラーメンはわれわれに思い出させてくれた。
チキンラーメンには、デザインの心が詰まっていると思います。
私にはデザインのことはよくわかりませんが、とにかくチキンラーメンのようでありたいのです。



(2011.12.11 配信)