2012/10/11

第二十回「神様お前様どっちもスタンダード」


腹上死という言葉を目にすると、登山で死んだ人をイメージしてしまう。 
なぜか。 

なんというかこういう事言うの凄い迷うんだけど、しばらく前から男の人って大変よね、と言う気持ちが無いでもないのをわざわざ宣言。何が大変って言うの、女の人は山の神様とか海の神様のように図々しくて尊大である意味で現実的な存在で、 対して男の人は、そういう神々のその理不尽な怒りとか、あるいは季節の祭事に応じて捧げられる、生贄の羊とか娘さん(!)らしいといえばらしくあり。
生贄に応じて災害のない平和(?)とか、作物の豊穣(妊娠出産)とかがもたらされるよ、みたいな。しかし神が供物の受け取りを拒否することも度々色々にありつつ説明を避ける。 
一方で、生贄の羊の生きてる暖かさとか生命力を深く実感したり、自然の漠々たる容赦のなさとかのれんに腕押しな感じとかそれっぽいといえばまあそう。
そういう物語が、実は私達一人一人の中に眠っているのではないか、密かに遺伝子が語り続ける伝承とかのそういう妄想そうすると、ヤマトタケルが荒れ狂う海の中にオトタチバナヒメを失う航海のエビソードも性的経験によって精神的なものを失った(かのような)少年のビルディングスロマン的なセンチメンタルを象徴しているのかもと思うと胃の底がキテレツ痙攣。
神話の総意予想だから!私の意見じゃないから!
物事の観測が根本的に間違っているよね。東京港から見れば隅田川は北、隅田川から見れば東京港は南、「生贄」を軸にしてオセロひっくり返るというただそれだけの話を、ただ生き物の都合上の構造でしかない事にまるで深い意味があるかのように「●●を象徴している」とか物語をでっち上げたりするのは、竹内久美子本脳内で参照しながら「男(女)・・・とかってのは」的にクダ巻いてるノリと変わらんようになってしまうので泣きながらやつあたり「お前とカマキリの雄が何じゃ!オラ」的な手元のグラスをメリメリと割りつつ!!!
お互い人間でありたいじゃないの…たとえインテリ気取りの俗物だったとしても…せめて人間でありたい…
私たちカマキリでも神様でもない、比喩にイメージ外注せずによ…



(2012.10.11 配信)