2011/04/13

第2回 「花のひと枝、だれかの話」

 

















いつにもましてひどく時間の感覚までもが狂ってしまったように感じるが、
既に四月半ば。北上する桜前線が東京をも徐々に徐々に春らしく染めつつある。

暖かな萌しの、いずれ北にも届くことを思う。


日本の地に遍く知れるが、我々は祖先から桜に親しみ、また歌に歌ってきた。


西行が歌った吉野の桜や、小野小町が垣間見る人の心の変化・・・など、桜の歌は限りなくたくさんある。
しかし今年、ことさら私に思い出されたのは、次の歌だ。



この花の 一節(ひとよ)のうちに 百種(ももくさ)の 言ぞ隠れる おほろかにすな


時は万葉。
愛する人に手渡したのであろう、ひと枝の桜。
ーーーこのひと枝に、自分の思いの全てを託してあるから、どうかおろそかにしないで欲しい。
そんな意味が添えられている。


個人的主観かもしれないが、「言ぞ隠れる」の部分には、単なる恋愛ゲームにおけるレトリック以上の切実さを感じる。
なんとなく、あえて言わない駆け引きよりは、愚直な感じだ。
 語らいの許されぬ愛であったのか。 

それともあまりに気持ちがつのって、語りきれぬのか。
いずれにせよ、他愛もない語らいではあるけれど。
作者の出自や閲歴、人物像も時の中で風化して久しい。
人物紹介を旨としたこの欄においては、不適当な話やも知れぬ。
しかし今こそ、名も知れぬ人の、生き生きと生きた事、あるいは今も生きる事を思いたい。


語りきれない万感を、思えば少しの言葉に託す苦悩は、誰もが思い当たる事だろう。
 折しも昨日4月10日は、知事選・県議選であった。
・・・「おほろかにすな」というのは、それこそ誰もが投じた思い、ではなかろうか。


いにしえの書をひも解くと、悠久の遙か彼方から春風が、今に向けて吹き抜けてくるような気がする。









(2011.4.11 配信)