2012/04/14

第十四回「舞乙-HiMEはトモエちゃん腹黒可愛い!」

以前よりも随分、アニメを見ていると公言しても恥ずかしくない世の中になってきたように思います。
舞乙-HiMEの話をします。2006年のサンライズ作品です。
萌えアニメにあらずな燃えアニメ。
小娘トモエちゃんのサイドストーリーが大変すばらしいのだ。
 


 成績優秀トモエは学園の“お姉さま”シズルに憧れのような、支配欲のような感情を抱いている。
 お姉さまには媚びへつらい、可愛がられる同級生は軒並み制裁。
 やがて戦争が起こり、シズルは投獄される。トモエは敵国に寝返り、シズルへの待遇を破格のものにさせる。
 二人は「密室で赤ちゃんごっこ」(筆者には説明不能)という倒錯的な遊びに傾倒して行くのだが…
 


トモエさんいくら利発だとしても所詮14才なので。なんというか大人からすれば、結局たかが知れてて犬っころみたいなもんなのだった。
投獄中の暇つぶしの道具として利用されているわけです。よ。利用して、手に入れるつもりだったのに。
シズルさんって、別にトモエを愛しているわけではない。アニメ絵で表現可能なことが驚くほど、まったく感情のない瞳で口付けをしている。
相当悪いやつなんじゃないか?えげつないやつなんじゃないか?
教育者でもなんでもないのだが、そうでなくても悪い、悪いやつだ。
ともかく、聡明で早熟そうだが実はものすごく精神的に幼い子が「幼さがなんの言い訳にもならない」という世界に自発的に踏み入れちゃったわけで。
そしたら相手がケダモノだったわけで・・・。うーん。
一方でシリーズ前作において「自分を愛さないなら相手を殺す」というエピソードを経験したシズルさんは、トモエとよく似ているのだ。
だからこそ互いにまるで、利用しあうような共犯関係として、成立ができたのかもしれない。
金井克子の歌みたいだよな・・・。
 


そんなじりじりとした感情(みたいなもん)を指定話数だばだばグツグツつめてあり、ストーリーの話は野暮なのです。えへっ。
にしてもわれわれの生きている世界に何の関係もないフィクションに有用性なんてないが、瑣末的としかいいようのない「現実味」や表面的な「善悪」もしかり。
ミステリにおいて「“現実的な”トリックの可不可」を重視するよりも、その制限を取り払ったほうがよりミステリとしての負荷がかかるように、
シズルさんのような人物は“現実的”には当然注意されるべき存在だが、彼女の行動も舞乙(のような精神的な作品)においては当然「ただのえげつなさ」で終わらせるべきものではないのだ。
そういう思索こそ作品なるもののの一役割だと思うが、件の表現規制ではどうなってしまうのだろうと思う。

ちなみに最終回で死んだと思われていたトモエちゃんは次シリーズ
大統領候補に取り入ったり「チンケな悪役」っぷりを元気につづけており、一部のファンたちを安堵させました。



舞乙-HiME公式HP
http://www.my-zhime.net/tv/index.html


 

(2012.4.11 配信)