いつにもましてひどく時間の感覚までもが狂ってしまったように感
既に四月半ば。
暖かな萌しの、いずれ北にも届くことを思う。
日本の地に遍く知れるが、我々は祖先から桜に親しみ、
西行が歌った吉野の桜や、小野小町が垣間見る人の心の変化・・・
しかし今年、ことさら私に思い出されたのは、次の歌だ。
この花の 一節(ひとよ)のうちに 百種(ももくさ)の 言ぞ隠れる おほろかにすな
時は万葉。
愛する人に手渡したのであろう、ひと枝の桜。
ーーーこのひと枝に、自分の思いの全てを託してあるから、
そんな意味が添えられている。
個人的主観かもしれないが、「言ぞ隠れる」の部分には、
なんとなく、あえて言わない駆け引きよりは、愚直な感じだ。
語らいの許されぬ愛であったのか。
それともあまりに気持ちがつのって、語りきれぬのか。
いずれにせよ、他愛もない語らいではあるけれど。
作者の出自や閲歴、人物像も時の中で風化して久しい。
人物紹介を旨としたこの欄においては、不適当な話やも知れぬ。
しかし今こそ、名も知れぬ人の、生き生きと生きた事、
語りきれない万感を、思えば少しの言葉に託す苦悩は、
折しも昨日4月10日は、知事選・県議選であった。
・・・「おほろかにすな」というのは、
いにしえの書をひも解くと、悠久の遙か彼方から春風が、
(2011.4.11 配信)